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日米安保崩壊で中共軍が自由に太平洋へ 東方阻止線重視で島嶼国防衛困難 東部の僅かな島々が戦略的に重要 太平洋欧州領土注目

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(画像はイメージ)

 日米安保が崩壊すれば太平洋諸国に大きな波乱をもたらす。

  従来、協力関係からの米国の撤退例には油断や敵対勢力への過小評価による判断ミスがあった。今日の日本は事実上米国の属領であり、抵抗せずに撤退はあり得ない。

 日本が中共に占領されれば中共軍は日本からも出撃するから、第1列島線での阻止は崩壊する。

  第1列島線の島々は地積があるから徹底抗戦は可能だがが、日本列島が陥落し、戦略的に第一列島線を阻止線とする価値が低下してしまった以上は、中共軍が太平洋に自由に出られるので、米軍としては、東方の阻止線を固めざるを得ず、太平洋の諸国の防衛に力を注ぐことが困難になる。

 第2列島線での阻止を維持するため小笠原などを米国が保証占領するかもしれない。

  自国領を守らねばならないので、アメリカも、太平洋諸国に対する防衛義務を果たしきれない。

  広い海洋での軍事作戦には拠点となる島々が必要である。太平洋の東部には陸地が少ないから、わずかな島々が戦略的に重要となる。

  インド太平洋地域には欧州諸国の領土が存在していることにも注目する必要がある。

  この状況下において太平洋で抑止を発揮できるのはロシアだけと考えられる。

〇見捨てられ論

 古くからの同盟論の課題には、巻き込まれ論と見捨てられ論の2つがある。前者の、巻き込まれ論としては第一次世界大戦があり、後者の、見捨てられ論としては日露戦争終結後の日英同盟の例がある。

 我が国の第二次世界大戦後の日米安全保障についての世論も、この巻き込まれ論と見捨てられ論の間を揺れ動いてきた。現在でも「米軍基地があるから攻撃される」と、危険を主張する向きがある。この危険の主張は巻き込まれ論である。 今の日本において目立つ主張は、米国が本当に日本を救援に来るのかという、見捨てられ論である。米国の政権が代わる度に、尖閣諸島は(安全保障条約が適用される)施政権の範囲内であるかを日本政府が米国政府に確認している。この日本政府の心配は、見捨てられ論の典型だろう。

 日本国内における議論は、日米安保条約の適用部分だけで議論が終始している。しかし、米国の世界戦略の視点で眺めれば、日米条約は大きなピースの一つには違いないが、それは沢山ある条約関係のピースの一つに過ぎないことも事実である。日本を救うか否かは、世界戦略の中で米国が考えることである。

 日米安保条約を、米国が見捨てる場合には、他への波及効果も決して無視はできない筈である。その波及の一例が冷戦期のドミノ理論であった。南ベトナムを見捨てると、周囲の国々も共産化するだろうと米国は考えた。同様に日本を見捨てれば、影響は周囲に拡大する。その影響を考察したい。

 広大なインド太平洋地域には、実に多数の主権国家が存在している。ただ海洋が広大過ぎて、原子の中の原子核や、宇宙の中の恒星のように、主権国家の領域に属する部分はドットにもならない微小な点に過ぎず、ほとんどが空虚な公海であるのがインド太平洋地域の特徴であろう。海に漂えば360度の水平線。高みに上り衛星軌道から見れば、島々は存在を認識できないウイルスのようなものだ。

 したがって、静止軌道から見るがごとく、肉眼では世界地図を眺めて国名の文字しか見ることができないが、揚げ物のようにEEZという分厚い衣をつけて膨らませると可視化できる。その図が下である。https://livedoor.blogimg.jp/all_nations/imgs/3/0/308ae7d5.jpg
 アジアとかオセアニアとかと言葉では言うものの、実はインド太平洋地域は欧州ですらある。インド太平洋地域には欧州諸国と同盟関係にある国々だけではなく、そのもの欧州諸国の領土が存在している。また、日本であまり注目されることはないが、北方領土やオホーツク海は、米軍の地域統合軍戦域である西欧軍の担当戦域だ。ロシアは欧州なのだ。

 インド太平洋地域においては同盟関係が複雑に絡み合っており、単純に日米関係だけで論じられない問題を含む地域である。

 そのようなわけで、実際にどう絡むのかを考察する。

〇米国の撤退例

 米国が、自らが支援して来た国家等から、引潮の如く、関与を避けたり、撤退した例は決して少なくない。最近、アフガニスタンからの米軍撤退が問題化したが、過去にもいくつか例がある。どのように米国が当該地域から引き揚げたのかを見てみることにする。

 大規模な撤退例としてはベトナム戦争からの撤退がある。ベトナム戦争が何時、どのように始まったかについては文化流行史の如く諸説あってはっきりしないが、パリ条約により敷かれた非武装地帯である17度線以南に成立した南ベトナムへの米国の関与は、戦争の本格化以前、インドシナ戦争終結以降から続いていた。

 しかし、1963年のトンキン湾事件による北ベトナムとの直接対立や、イアンドラ渓谷での北ベトナム正規軍と米軍との初戦闘から、戦争的(宣戦布告を経た正式な戦争ではない。)な状況となったのである。

 もちろん米国は、初めから南ベトナムを見捨てたわけではない。期間や兵力から見ても大戦争を経た後、米国内の厭戦的雰囲気の拡大などにより「戦争のベトナム化」を図って米軍は撤退した。

 ベトナムに米国が介入したのは、まさにドミノ理論によるものであり、ベトナム全土が共産化した場合、他の東南アジア諸国に波及することを恐れてのことである。

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