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曖昧な海警法 自衛衝突 小口径火力射程での交戦  俊敏な運動性で長時間近距離での接触維持必要 19世紀の海戦の教訓多い。

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〇19世紀の海戦を参考にすべき

 現代の空母を除く水上艦艇にとって、水上艦艇同士の戦闘に主に使用される兵器は対艦ミサイルであり、それ以外の兵器を使用することは考えにくい。

 対艦ミサイル以外の兵器が使われるのは、不審な船艇を停止させたり、対空戦闘や対地攻撃の支援などの場合に限られる。

 もしあるとすれば、グレーゾン状態から戦時に移行するような際に、近傍に居合わせたとき位であろう。現代の国際法は対象を伝統的な戦争から武力紛争へと拡大しているから、中立国の概念が不明確であり、停泊中の艦艇同士でも十分に起こり得ることではある。あるいは南北朝鮮の間で発生した第1、第2延坪海戦や大青海戦のような休戦状況化で起きるような場合だろう。

 対艦ミサイルの射程や速度は、水上艦艇の大きさや速度に比べて遥かに大きく、水上艦艇は、ほとんど動かない小さな点に過ぎない。したがって艦艇が積極的に敵の艦艇に対して優位な位置に動こうと運動することもない。艦艇の位置が単純に射程距離の外か内かだけである。

 しかし軍艦が大砲で撃ち合っていた時代には、艦や艦隊の、相互の位置関係は重要であった。その態勢如何で勝敗に影響するからである。

 もはや軍艦同士で、戦闘状態下、優位な位置に占位を争うような海戦が行われることは無いだろう。

 軍艦相手ではなく、不審な船の奇襲のような場合であると、待ち受けで火器を使う場合が多い。不審船を追跡することはあるが、このような場合、不審船が軍艦に対抗する手段はせいぜい自爆ぐらいのものだ。搭載する機関砲や手持ちの火器レベルでは、軍艦の火力の前では一瞬で沈黙させられてしまう。

 従って軍艦が一方的に追跡し、不審船が逃走する一方で、相互が間合いや、互いの向きを見て有利な位置をとるようなことは考えにくい。

 同じく対空戦闘でも水上艦艇の機動性では対応は困難である。有名な米海軍のオペレーションリサーチがある。急激な回避は対空戦闘に有害な影響を与えるというものだ。艦対空ミサイルが防御の主力となった現在、どれだけリサーチの結果が同様に通用するかは不明であるが、所詮、回避による防御は効果が小さく、対空戦闘に影響を与えない程度に留めた方がよいということだろう。

 艦や艦隊の運動が勝敗に直結した時代は、魚雷艇などを除き、おそらくドレットノート級戦艦出現以前の海戦であろう。

 もちろん第一次世界大戦や第二次世界大戦でも水上艦艇同士の戦闘はあったものの、方位盤射撃と大口径砲によって、長射程となり運動戦の性質が減った。しかも着弾までの時間が長く、目標の未来位置が予測不能で有効な射撃とは言い難い。

 ドレットノート級戦艦の出現の意味は、主砲の戦闘力の最大化を図かり、艦のキャパシティーの多くを主砲の搭載に振り向けたことである。このことが、いわば水上艦を浮き砲台にしてしまった。

 それまでの前ドレットノート級と評される戦艦や装甲艦には、副砲や中間砲と言われる様々な口径の大砲を多数装備しており、それらも用いて海戦が行われた。

 主砲の射程距離が延び、また主砲弾の威力が大きくなるに従い、主砲以外の砲からの砲弾が目標に届かなくなり、また主砲の威力だけで(他の砲の威力を必要とせずに)敵艦を撃破できるようになった。

 そのようなことから出番がなくなった副砲などを搭載するキャパシティーを主砲に振り向けたわけである。

 艦の機関がタービン化し速力が上がったことも、ドレットノート級の特徴ではあるが、そうは言っても、主砲の射程伸長の影響は、速力上昇の影響を超えて大きく、簡単に敵艦の主砲の威力圏への進入と、そこからの離脱は容易ではなくなった。

 日露戦争は、準ドレットノート級とも言える艦の時代に差し掛かっていた。8月10日の海戦では、相互の距離が8km以上あり、命中弾はほとんどなく、ロシアの旅順艦隊も無事に港に逃げ込むことができたのであった。翌年5月の27日から行われたバルチック艦隊との日本海海戦においては、4km程度で交戦が開始され、相当の命中弾があった。

 8月10日の海戦は、日露双方に戦果は少なかったが、むしろこちらの海戦の方が新時代の海戦であり、日本海海戦は先祖返りしたと言える。

 日本海海戦では、東郷ターンが話題になったが、これは旧時代の戦法であったと言えよう。

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