戦争は、講和条件を物理的暴力により作り出すものであるが、武力を使うことなく、我の意思に従わせることができる手段があれば大変効率的で合理的である。
その武器は基本的に言語である。言語は情報であり、変換が容易で伝えやすく、低コストである。
紹介する研究は、一件、宣伝広告ではないものに隠された広告の宣伝効果についてである。記事見出し文には実際には広告の意図が隠されていることがあり、広告であるという意識を生起させることなく読者を広告へ誘導できる。
公告意図は非明示的に示され、明示されないので、見出しをどう解釈するかは読者自身に委ねられる。
否定的な表現は、広告であることを読者に見抜かれ難い。主張を正面から行うと、読者に警戒感を誘ってしまうが、意図を明示的に示さずに読者を誘導することで読者の意図を操作し得る。
物理的な暴力など用いらずとも意思を誘導できるならばコストが掛からないない。
敵国国民の多数に我々が味方だと信じさせることもできる。政府に従うことが損であるかのような印象を植え付け離反させるのもよい。
宣伝の意図とは関係ない記事に宣伝を忍び込ませれば、読者に批判を生じさせたり、抵抗感を感じさせずに自然に意思を誘導させることができる。
マズローの五段階説は、より低次の欲求が高次の欲求を阻害するという仮設だ。低次の欲求の情報に脳は強く影響される誘導しやすい。
SNSでは、宣伝内容に真正面から触れるとプラットフォーマにアカウントを取り消される可能性があるが、これを回避できる。政府の検閲にも強い。
〇戦争とは意思の強要
戦争とは、暴力を用いて敵に我の意思を強要することであると看破したのは、プロイセンの名著「戦争論」の作者カール・フォン・クラウゼビッツである。
戦争において用いられる物理的な暴力は、敵の抵抗力を奪うものであって直接的に敵の意思に介入して変えるものではない。
もし物理的暴力を用いずに、直接、相手の意思を我の意思に従わせることができる手段があるなら、その手段は大変効率的で合理的であると言える。中国の古典「孫子」にも「戦わずして勝つのが善の善なるもの」と記述されているとおりである。
もちろん戦争は、相互に譲歩を受け入れられない要求を争うためにゼロサムゲームとなり生起するものであるから、通常の外交交渉のように議論を尽くしてどうにかなるものではないし、敵に要求すべき講和条件を物理的暴力により作り出すものである。
したがって、我の意思を敵に受け入れさせるというのは、敵からの強い抵抗を受け簡単に言う程には行かないものである。
とはいえ、暴力以外の手段を併用するのも戦争の常だろう。複数の別の手段が相乗効果を上げることもあるからだ。その手段として行われるものの一つのが心理戦である。
平時のチャネルは戦時には無くても、様々な宣伝手段は存在する。戦争ともなれば各国の記者が取材する。中立国や国際的な機関を通じての交渉、軍使を通じての前線での交渉、電波や航空機から散布される伝単など様々な手段も講じられる。
それらの手段で使われるものは基本的に平時と同様に言語が主役である。もちろん絵画や映像なども利用されることはある。精神に直接作用するような薬物などによる化学的方法も使われるかもしれない。また戦争の主要な手段である物理的暴力も心理的な作用を及ぼすものである。
しかしながら現時点において言語ほど具体的な意思を伝える方法はまだない。言語以外の方法は与えたい影響も抽象的であり、言語を補強するような形で用いられている。
更に言語は情報であり、変換が容易で伝えやすいという面もあるだろう。その点、映像なども同じく情報であるから伝え易いとは言えるが、データ伝送量から見ても言語の方が遥かに低コストである。言語にも話し言葉と書き言葉があるが、どちらにしても低いコストで伝送可能だ。特にアナログ音声通信とtextデジタルデータ通信が優れている面が多い。そのようなプリミティブな通信手段であっても、伝達できるのは言語そのものに大きな伝達力があるからだ。もし画像を送るとすれば広い帯域幅が必要になるが音声なら3KHzもあれば十分だ。textデータなら漢字でもASCIIコードの16進数4桁で伝わる。通信時間が掛るが言葉をモールス信号に変換すれば、殆ど搬送波のみで伝達することも可能だ。画像もバイナリーデータで送るから似たような形式にはなるが、パルスが短く広帯域となってとてもモールスのF1形式では送信できない。