google-site-verification=bsh9Vc0JE-gs5XhAa5d60ynarygvmIr38GwKW8JySfM
入札日:令和3年9月10日
海上自衛隊呉地方総監部
除籍船舶の売払い
https://www.mod.go.jp/msdf/bukei/k0/nyuusatsu/03-1-9997-2050-0001.pdf
入札公告しか公開されていないのではっきりしたことは分からないが、最近、除籍となった艦艇を調べると、舞鶴では「まつゆき」があり、他の地方総監部では他の補助船艇もあるようだが、呉で該当する艦は「しまゆき」のようだ。
Wikipediaの記事を中心に、さまざまな情報を調べてみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%BE%E3%82%86%E3%81%8D_(%E7%B7%B4%E7%BF%92%E8%89%A6)
発注は1982年である。1984年5月8日に起工、1986年1月29日進水、1987年2月就役17日とある。私ごとだが、曹士隊員をやっていた時代であり、記憶だとつい最近のようも思えるが、随分年月が経ったものだとつくづく思う。
時代は冷戦最中で、もちろん対象国として挙げられていたのは第一にソ連だった。自衛隊としては北方重視であるとともに、日本列島を不沈空母とする考え方が基本だった。当時の海上自衛隊は、今もそうだろうがシーレーン防衛や3海峡封鎖などを考えていたと思う。4次防までの防衛力整備の時代が終わり、デタント期に出来た53中業に始まる基盤的防衛力整備構想に基づく防衛力整備が行われていた頃だ。
この艦自体、53中業に基づくものだろう。昭和53年から翌年に作成されたものだから当時の長中期(10年後、5年後)の情報見積もりに基いたものだ。冷戦はデタント期ではあったが、厳然として冷戦そのものの構造はあり、ミグ25函館強行着陸に伴う緊張などもあった。4次防までに量的な防衛力は、そこそこ充実してきたとはいっても、能力としてはまだまだ不十分という認識であったようだ。そのような中、護衛艦の近代化が急がれていたと考えられる。
デタントは1979年にSOLTⅡの瓦解とソ連のアフガニスタン侵攻をもって終わり、冷戦が激化していた。「しまゆき」はそういう時代を背景に建造された艦だ。
当時、日本は高度成長を終え、1973年と1979年の石油ショックの影響をもろに受け、バブル経済はこの後だったから、経済的な制約なども大きかったのではないだろうか。それでも今よりは活気があったように思う。
「しまゆき」は昭和57年度計画3,000トン護衛艦2221号艦艦として、三菱重工業長崎造船所で建造された。このタイプは、はつゆき型護衛艦と呼ばれる。
自衛隊草創期に建造された護衛艦の退役が間近となっていたこの当時、その穴を補充する必要から作られたタイプである。この頃、江田島に除籍された戦後初建造の「はるかぜ」が係留されていたのを覚えている。当時は多目的護衛艦(DDA)と対潜護衛艦(DDK)の組み合わせでは、当時、出現した原子力潜水艦に対応できないということが研究からわかりDDAとDDKを統合した艦となった。
52DD「はつゆき」型は「8艦8機体制」基本構成艦なのだそうだ。
なお、「8艦8機体制」については、下が詳しい。簡単に言えば潜水艦や爆撃機からのミサイル攻撃にDDGが2隻必要だというのと、小型のDDKではヘリコプターの整備が出来ないということで、8艦10機体制の見直しの必要に迫られたわけだ。
ポスト四次防における海上自衛隊の防衛力整備構想に関する研究-海上防衛力近代化と「8 艦 8 機体制」-
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201503/05.pdf
詳しくは、下の記事に譲るが、新たな対潜装備の搭載に付随した船体構造の影響を受けているようだ。この時代には造船技術は、すでに溶接を主体としているし、民間船舶の建造も多数行っていたからブロック方式と鋼材切り出しの自動化など、を反映した建造だったのだろう。
ディーゼル機関を廃しCOGOG方式を採用したのも、このタイプが日本では初めてとのことだそうだ。ただし、高速用ガスタービンor低速用ガスタービンなので速度に応じた機関の切り替えが厄介だったようだ。ガスタービンは音が静かだから対潜戦には適しているし、多種の燃料に対応でき、なにより出航までの時間が短いというメリットがある。反面、燃料消費量が増大するため、すべてをガスタービンに頼るということは、洋上補給への依存が高まるから後方支援の体制も見直しを図らな
また探知距離よりも解像度を重視した高周波数のソナーを搭載したそうだ。潜水艦が高速化し、ソナーの探知を、すり抜けられる可能性が高まったのだろう。
のちに「しまゆき」は、1999年3月18日に練習艦に種別変更している。それまでは除籍間近の艦艇が転籍するのが定例だったが、当時、システム化が著しく、練習艦も近代化が必要となり、就役からわずか12年でいち早く練習艦に転籍されたということだそうである。
裏を返せば、システム艦のはしりで、リンク14しか搭載していないとか、コンピュータの能力不足などもあって、早期に護衛艦から変更されたと考えられなくもない。はつゆき型そのものが、システム化の実験的な意味合いで建造されたのではないだろうか。それは「8 艦 8 機体制」の整備を急ぐために、コストを押さえなければならなかったことも影響している。
話は就役時に戻るが、「しまゆき」は第3護衛隊群に直轄艦として編入され佐世保に配備され、1987年2月20日、第3護衛隊群隷下に第45護衛隊(1997年3月24日第7護衛隊に改称)が新編され、同日付で就役した「あさゆき」とともに編入されたとある。就役後短期間だから、直轄艦として運用するというよりは、おそらく新編のため一時的に直轄艦としたのだろう。この新編は、この時期、常時出撃可能状態を維持するために4個護衛隊群体制の維持と、編成の画一化を図っていたことと関係するかもしれない。
五六中業の時代にあたるが、この五六中業では、大規模な編成の改編などの実施は計画されていない。しかしその前の五三中業時代以前からの「8 艦 8 機体制」の確立を図る目的があったものだと思う。艦とヘリが揃っても、運用の体制や能力が伴わなければ絵にかいた餅だからだ。
下のWikipediaの記事抜粋にあるとおり、この時代には「しまゆき」は様々な演習等に参加している。
1988年、遠洋練習航海に参加。10/1オーストラリア建国200周年記念国際観艦式に参加した。この頃、海上自衛隊は潜水艦「なだしお」と遊漁船の事故で大変だった頃だ。
1990年5月、環太平洋合同演習 (RIMPAC) に参加。湾岸危機の少し前の頃だ。ちなみにこの時から南鮮も参加したようだ。
この年のリムパックには戦艦ミズーリが参加しているが、下のURLの画像には、そのミズーリの左後方に2隻、米艦の塗装らしくない艦が見える。小さいので不明瞭だが、その後ろ側の艦がなんとなく「しまゆき」に見えなくもない。
https://www.facebook.com/missourikinenkan/photos/a.787706891250796/2845570522131079
右側の艦が「しまゆき」らしい。
環太平洋合同演習(リムパック90)参加のためハワイの真珠湾に集結した海上自衛隊の護衛艦群=90年5月(共同)
https://imagelink.kyodonews.jp/search?keyword=%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E5%90%88%E5%90%8C%E6%BC%94%E7%BF%92&opendetail=3912690
1992年、練習艦「かとり」等とともに遠洋練習航海に参加。6月3日に横須賀基地出港後、太平洋各地に寄港し、11月15日に横須賀基地帰港
「6月3日(水)・・・出港。2番艦「しらゆき」を中抜きとする、一斉解纜(かいらん;解き放つ意)出港法は「もやい(注;ロープの海軍呼称)」の放ち方そろい整斉たり。」「(写真)「中抜き」で内側から先に出港する「しらゆき 艦No123」が登舷礼のまま帽振れ実施」
遠 航 随 想平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/4303/
「7月17日(金)・・・豪州海軍の「ジャービスベイ」及び「ダーウィント」の2隻が出迎える。豪海軍の2隻を先頭に「かとり」「しらゆき」「しまゆき」の順に単縦陣形成」
遠 航 随 想 平成4年度環太平洋・オセアニア方面遠洋練習航海(全14回) ― 練習艦隊司令部首席幕僚随想録 ―第5回 シドニー ~ ウェリントン
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/4816/
「7月30日(木)・・・燃料搭載中に、「しらゆき」乗り組み海士の家族から、昨日生まれた新生児の肺が奇形のため、危篤との至急信入る。」「8月4日(火)・・・司令官は「しまゆき」視察の為、0730「かとり」発、1700同帰着の予定で、ヘリコプターにて移動。」「8月9日(日)・・・「しまゆき」は分離してモーレア島のオプノフ湾へ、「しらゆき」「かとり」は、この順序でモーレア島のクック湾へ向かわせる。」「クック湾の入り口、水道幅が約200メートルの峡水道を、「しらゆき」から順に進入する。」「「かとり」が「しらゆき」に引き続き投錨」「「しらゆき」は戦闘艦らしく小回りのきく運動性能で突風の中を上手く回頭し、後に続く。」
同第6回 ウェリントン ~ パペーテ
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/4922/
「8月10日(月)・・・パペーテ港岸壁に「入り船」右舷横付け。「しらゆき」「しまゆき」は「かとり」の後方に、2隻「目刺し」で横付け。」
同第7回 パペーテ ~ パールハーバー
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/4989/
「8月24日(月)・・・米海軍基地「B岸壁」に右舷横付け。「しまゆき」「しらゆき」はこの順で、「かとり」の外側に横付」「「しらゆき」艦上で司令官、小官、各艦長及び実習幹部の代表50名が参加して茶会」「9月4日(金)・・・司令官は視察のため、0700、「しらゆき」へ「ハイライン」により移乗、1700「ハイライン」により帰艦。」
同第8回 パールハーバー ~ アンカレッジ
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/5023/
「9月6日(日)・・・「しらゆき」「しまゆき」の僚艦が「かとり」の作業を支援するための要員を、毎回、快く「かとり」に派遣」「(写真)カナダ海軍の補給艦及びフリゲート艦と「ハイライン」実施中の「しらゆき」」
同第9回 アンカレッジ ~ エスカイモルト
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/5109/
「9月25日(金)・・・対空射撃訓練を実施。「しらゆき」は有効弾、「しまゆき」は見事に撃墜する。」「9月27日(日)・・・Pemex 岸壁に「かとり」は「入り船左舷横付け」、「しらゆき」は同岸壁に「入り船右舷横付け」、「しまゆき」は「しらゆき」の外側に「右舷横付け」する。」「「しらゆき」は科員食堂での立食パーティ。配乗中の実習幹部が乗員の慰労のため、寸劇を演じる。」
同第10回 エスカイモルト ~ マンサニーヨ経由アカプルコ
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/5128/
「9月29日(火)・・・横付け前に1番艦「かとり」と2番艦「しらゆき」は、出港時の自力引き出しに備え、夫々岸壁の沖合に投錨した後に、錨鎖を3節(75メートル)巻出し、後進で「出船左舷横付け」する。最外側の「しまゆき」だけは、投錨することなく横付けさせる。」「2番艦も投錨作業が必要だったため、「かとり」が1番「もやい」を取ってから、「しまゆき」の横付けが完了するまで、約1時間30分を要する。」
同第11回 アカプルコ ~ サンフランシスコ
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/5148/
「10月10日(土)天気快晴、海上凪。 0700、海上パレード参加艦艇会合し対艦距離1,000ヤードの縦列制形。 1番艦米空母「リンカーン」、2,3番艦米海軍駆逐艦、4,5番艦米海軍原子力潜水艦、6番艦米海軍潜水艦救難艦、7,8番艦米沿岸警備隊警備艦、9~11番艦が「かとり」「しまゆき」「しらゆき」、12,13番艦韓国海軍練習艦の総勢13隻である。」「「かとり」しまゆき」を直ちに横付けさせるとのこと。米国人に特有な、相手の都合を無視した少々横柄な指示であるが、艦隊としては柔軟に対応できる態勢を常に維持しており、これに即応する。ベイ・ブリッジの橋脚を通過後、面舵反転し指定岸壁「No 27」に向かう。「しらゆき」と韓国の2隻は、当初の計画通り、湾内で投錨待機するための指定海域に夫々向かう。」「(写真)入港期間中、祝賀の電灯艦飾を実施する艦隊の3隻」「10月18日(日)快晴、海上平穏。 第4回「エンスン・ディ」実施。陣形運動、机上対空戦闘訓練、初級幹部技能検定競技(手旗、発光信号、運動盤解法)である。司令官は「しらゆき」視察のためヘリコプターで0735に移乗、1700に帰艦。」
同第12回 サンフランシスコ ~ パールハーバー
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/5171/
「10月21日(水)快晴。 0947、パールハーバーの米軍基地「B-24」岸壁に「右舷横付け」、「しまゆき」がその横に「目刺し」となる。「しらゆき」は「B-26」に「右舷横付け」。」「指揮官親睦会をワイキキの日本料理店「京や」で開催する。本来ならば帰国後に計画したいのだが、随伴艦2隻(「しらゆき」;大湊。「しまゆき」;佐世保)を入港行事終了後、直ちに母港へ帰すため、横須賀では時間が設定出来ずハワイでの開催とする。」
同第13回 パールハーバー ~ 横須賀
http://www.jpsn.org/essay/enkozuiso/5191/
1998年3月20日に第2護衛隊群第2護衛隊に編入され、翌年2月に日立造船因島工場で練習艦種別変更工事を行い、同年3月18日、練習艦に種別変更され、艦籍番号がTV-3513に変更されている。第2護衛隊に編入された時点で既に変更は決定していたのだろう。リンク11を搭載した、次タイプの最終艦である「あさぎり」型が1991年に就役したのち、4年毎の定期修理が一巡以上し、練度が充実した時期であることも関係するのではないだろうか。護衛艦隊としてはシステム艦の配備が完成し、練習艦隊としてはシステム艦教育への体制ができたということになる。この時に定係港が呉に転籍している。
以下もWikipediaの記事を中心に述べると、練習艦となってからは2002年、2007年、2009年、2012年、遠洋練習航海に参加している。下のは近海練習航海となっている。練習艦「かしま」、護衛艦「さわぎり」、練習艦「しまゆき」、練習艦「やまぎり」が参加している。
近海練習航海(その1)について2007/01/16
http://www.boueinews.com/topics/topics.cgi?page=907
2013年3月22日、練習艦としては海上自衛隊初となる女性艦長が練習艦「せとゆき」と同じく着任している。防大40期だそうだ。防大入学が1992年というから任官は1996年ということだろうか。2016年には護衛艦「やまぎり」の艦長に就任している。同年別の艦でこれより先に護衛艦の女性艦長が就任している例があるそうだ。大型艦への艦長では、既に2009年に海洋観測艦「わかさ」の例があるそうだ。こちらは昭和63年入隊の一般幹候39期である。掃海艇はもっと遅く2018年だが、危険性が高いということだろう。潜水艦には2010年に、やっと女性の乗組員が誕生したばかりだが、これは専用区画を作る余地が無かったからである。
この年には「しまゆき」はインシデント事例にも遭遇している。
「2013年6月11日20時50分ごろ、佐世保基地に向け航行中に関門海峡(下関市六連島沖)で対向してきたパナマ船籍の自動車運搬船「AUTO BANNER」(2万6,651トン)に接近して衝突の危険があったと報道された。」
「2014年9月25日、運輸安全委員会(海事部会)は2013年6月11日に発生した異状近接事案を船舶インシデント(安全阻害)とし、調査報告書を発表した。同調査報告書では、行き会う際「しまゆき」が左転して航路の左側へ航行し、「AUTO BANNER」の前に進出する態勢となって港則法の定めと異なる航行を行ったことが主因としている。」
下のが、その時の調査報告書である。
船舶インシデント調査報告書
https://www.mlit.go.jp/jtsb/ship/rep-inci/2014/MI2014-10-1_2013tk0016.pdf
平成14年にも遠洋航海訓練に参加している。4月22日に出港し、9月9日に帰港している。この時は練習艦「かしま」「しまゆき」と護衛艦「まつゆき」の3艦で構成されている。
平成14年度遠洋練習航海航路計画
https://www.spf.org/opri_media/projects/information/newsletter/backnumber/images/020605_0302_l.jpg
こちらには当時の画像もある。
平成14年度遠洋練習航海
http://fleet7.sitemix.jp/Info/Info001.html
この航海中、5.14(火)(現地時間)からは 、太平洋東海岸・カナダ沖 にて、カナダ海軍・ミサイルフリゲート艦「ウィニペグ」(WINNIPEG)と、戦術運動訓練、発光信号訓練、手旗信号訓練 を実施したとある。
この時代から、画像が増えてくる。ただやはり一般公開時が多い。航空機と異なり基地周辺で任務飛行を見ることが出来るのと異なり、出航してしまえば見ることができる機会は少ない。災害派遣の際も、DDHや輸送艦が主体となるようだ。特に練習艦隊の艦が災害派遣に参加する例は少ないようである。
一つの理由として、課程学生の訓練が詰まっていることがあるようだ。教育期間は決まっているから、そうそう災害派遣に出て来ることは困難なようである。 流石に首都圏震災のような国家的な事態の場合には1隻派遣する計画になっているようだ。
資料1 東日本大震災における海上自衛隊の活動概要 17頁 http://www.bousai.go.jp/kaigirep/kentokai/tamokutekisen/2/pdf/shiryou
01.pdf 海自練習艦「しまゆき」一般公開へ 松山で4月13、14日 2017/3/30 08:30
https://www.sankei.com/article/20170330-4YNU4IQ6LNO2TCXNJRIVXYFOOI/photo/GUZUOCP7AVJ43HSA2JBHTRMJMY/
練習艦しまゆき一般公開in阪神基地隊 2017.09.09 http://www7b.biglobe.ne.jp/~haganetoumi/2017shimayuki.html#:~:text=%E7%B7%B4%E7%BF%92%E8%89%A6%E3%81%97%E3%81%BE,%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%8E%EF%BC%90%EF%BC%99%EF%BC%8E%EF%BC%90%EF%BC%99
ジャパン マリンユナイテッド呉工場で修理中の「しまゆき」
2019年10月20日 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%BE%E3%82%86%E3%81%8D(%E7%B7%B4%E7%BF%92%E8%89%A6)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JMSDF-shimayuki_in_Marine_United_Kure_Shipyard.jpg
第1練習隊の3艦 2019年5月31日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%BE%E3%82%86%E3%81%8D_(%E7%B7%B4%E7%BF%92%E8%89%A6)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JMSDF_1St_Training_Division.jpg
2019.06.21【海上自衛隊練習艦「しまゆき」一般公開】姫路市
https://rongkk.com/himeji-shimayuki/
練習艦「しまゆき」一般公開 開催日 2019.7.14(日)~15(月)開催場所 姫路港飾磨4号岸壁(兵庫県姫路市)
https://www.mod.go.jp/msdf/event/2019_07.html
2019年09月30日XML 練習船3513「しまゆき」が修理ドック に
https://plaza.rakuten.co.jp/kobaruto4105/diary/201909300000/
海上自衛隊練習艦しまゆき 下関入港 2020 / TV-3513 JS SHIMAYUKI – JMSDF, training vessel
https://www.youtube.com/watch?v=rN0AO4-F4P4
瀬戸内海で海自練習艦「しまゆき」体験航海|広島地本 2020-12-15
https://dailydefense.jp/ct/17416761
ハイライン訓練のため練習艦「かしま」に近接する「しまゆき」 2021年3月10日 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%BE%E3%82%86%E3%81%8D(%E7%B7%B4%E7%BF%92%E8%89%A6)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JS_Shimayuki_TV-3513_closing_training.jpg
上の画像は、日付が撮影日だとすると、おそらく最後の訓練ということになるのだろうか。
2021年3月19日、まや型護衛艦「はぐろ」の就役により、はたかぜ型護衛艦「しまかぜ」が練習艦に種別変更され、本艦は除籍。就役期間中、地球約37周相当の距離を航海した。
「しまかぜ」はDDGであるから、練習艦がDDからの変更ではなく、DDGからの変更となる。「しまかぜ」は最後の非イージスDDGだそうだ。また有人艦載砲を持つ艦としては最後の様である。
「しまかぜ」は就役から33年で練習艦となるわけだから、「しまゆき」の12年と比べるとかなり高齢艦になってからの変更である。おそらくDDGとしての機能の訓練にはならないから、「しまゆき」の時の事情とはことなり、「しまゆき」そのものの艦齢から交替となるのだろう。とはいえ「しまゆき」も艦齢39年で、「しまかぜ」と大きく異なるわけではない。「しまゆき」の時も当時の練習艦が自衛隊草創期のものだったわけだが、「しまゆき」就役の1982年の33年前といえば1949年にあたる。「わかば」や「こじま」を引っ張り出して来たり、ソ連にテンタリースされていたPFを練習艦にするようなものだ。当時「はつゆき」型を練習艦にしたのは特殊な事情があったからだが、昭和の終わりの時期に、これらの古参艦が練習艦になるようなものである。
あるいは帝国海軍であれば、一応、終戦直前まで「岩手」を練習艦とはしていた。就役が1901年だから艦齢は44年だったわけだが、遠洋航海を行ったのは「香取」就役の1940年以前である。少なくとも大東亜戦争中の大日本帝国海軍なら日露戦争当時の軍艦を練習艦にするようなものだろう。
今まで、私は艦船というのは寿命が長いものだと漠然と考えていたのだが、結構、飛行機の方が寿命が長いことに気が付いた。F-4の301号機は1971年に納入されているから50年に達していた。C-1も初号機が未だに飛行しているが、こちらは1970年で、おそらくもう数年は飛行するだろう。
(160)327号機か336号機? F-4型航空機(2機)の解体及び収集運搬
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%96%ef%bc%90%ef%bc%89/1650/
(153)26号機と28号機辺り? 用途廃止航空機(C-1×2機)の解体及び売払いの部外委託
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%95%ef%bc%93%ef%bc%89%ef%bc%92%ef%bc%96%e5%8f%b7%e6%a9%9f%e3%81%a8%ef%bc%92%ef%bc%98%e5%8f%b7%e6%a9%9f%e8%be%ba/1568/
(132)最後の1機?13号機か18号機か? 除籍航空機PS-1型の解体,収集運搬及び処分
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%93%ef%bc%92%ef%bc%89%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%ef%bc%91%e6%a9%9f%ef%bc%9f%ef%bc%91%ef%bc%93%e5%8f%b7%e6%a9%9f/1274/
50年前に就役した艦と言えば「みねぐも」型に当たる。まだそれに比する飛行機が使われているわけである。
艦船はやはり海水に晒されていることもあるのだろう。また航空機にくらべて数も少ないから旧式化すれば、全体としての旧式化も大きく進んでしまう。諸外国のようにモスボールにして保管することも、防衛計画の大綱の枠があるから補助艦艇などにするしかない。航空機や戦闘車両などは基地・駐屯地に比較的多く保存されているが、艦船といえば海自に限れば呉の「てつのくじら」館ぐらいだろうか。ものが大きいだけに保存は難しいのだろう。
艦船の就役期間について
https://ssl.bsk-z.or.jp/kakusyu/pdf/28-2-1boueisyutoku.pdf
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(資料番号:20.11.23-1)「潜水事故の教訓から安全管理態勢へ」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2020年1月号掲載
(資料番号:20.11.23-2)「潜水で遭遇したトラブルと回避からの教訓」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2020年2月号掲載
(資料番号:20.11.23-3)「伝統的な『潜水艦乗りのしつけ』について」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2020年2月号掲載
(資料番号:20.5.16-1)「部隊別特集:第1潜水隊群・潜水艦隊直轄部隊」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2019年8月号掲載
(資料番号:20.1.16-1)「艦載機と安全」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2019年3月号掲載
(資料番号:13.9.16-1)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2013年1月号 *特集:「辛口コーナー集録」第三巻(平成17年9月号~平成19年4月号)。
(資料番号:13.9.16-2)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2013年2月号 *特集:「術科と安全」(潜水艦隊司令部・第2潜水隊群)。
(資料番号:13.9.16-3)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2013年3月号 *特集:「緊急操艦」(第3護衛隊群)。 正会員複写代 \700円(全文84頁。送料・手数料込み)
(資料番号:18.7.13-4)「部隊別特集:第1潜水艦群・潜水艦隊直轄部隊」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2017年12月号掲載
(資料番号:18.7.13-3)「テーマ別特集:緊急操艦(第1護衛隊群)」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2017年11月号掲載
(資料番号:13.6.24-3)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年12月号 *特集:「冬季安全対策(大湊地方隊・第15護衛隊)」。
(資料番号:13.6.24-2)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年11月号 *特集:「洋上補給(第1海上補給隊・第1海上訓練支援隊)」。
(資料番号:13.3.27-1)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年7月号 *特集:「東日本大震災」。
(資料番号:13.3.27-2)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年8月号 *特集:「荒天対策(佐世保地方隊・第13護衛隊)」。
(資料番号:13.3.27-3)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年9月号 *特集:「ダブルチェック(第1潜水隊群・潜水艦隊直轄部隊)」。
(資料番号:18.3.23-5)「部隊別特集:掃海隊群」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2017年9月号掲載
(資料番号:12.10.26-4)「潜水艦隊増強に向けて―今そこに在る課題―」『潜水艦の友』(潜水艦教育訓練隊)第91号(2012年3月)掲載
(資料番号:12.8.16-1)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2011年10月号 *特集:「出入港編」。
(資料番号:12.8.16-2)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2011年11月号 *特集:「運用作業(第2護衛隊群)」。
(資料番号:12.8.16-3)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2011年12月号 *特集:「危険予知(海洋業務群・開発隊群))」。
(資料番号:12.8.6-1)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年1月号 *特集:「巻頭言集録」第六巻(平成12年1月号~平成13年12月号)。
(資料番号:12.8.6-2)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年2月号 *特集:ヒューマンエラー(海上訓練指導隊群・第1輸送隊)。
(資料番号:12.8.6-3)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2012年3月号 *特集:チームワーク(練習艦隊)
(資料番号:12.7.18-1)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2011年4月号 *特集:伝統の継承(護艦隊司・1海補隊・1海支隊)。
(資料番号:12.7.18-2)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2011年5月号 *特集:シーマンシップ(横須賀地方隊・第11護衛隊)。
(資料番号:12.7.18-3)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2011年6月号 *特集:「辛口コーナー集録」第二巻(平成16年4月号~平成17年8月号)
(資料番号:12.7.13-2)「平成18年度自衛艦隊業務計画」(自艦隊般命第35号(18.3.15)別冊)
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