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脅威と中華人民解放軍を考えるー熟慮必要 脅威頻出 認識は受け手側で変化 対日工作展開 多国間交渉介入不可避ー

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 ウォルツは、二極システムの方が、アクターの対立構図が明確で単純で脅威の所在が分かり易く、また、そのために同盟関係も安定し易いと論じ、システムによって見えたり見えなかったりする可能性を主張した。

国際政治構造と同盟の変容–脅威の時代からリスクの時代へ
金子 讓,吉崎 知典,佐藤 丙午 他
掲載誌 防衛研究所紀要 = NIDS journal of defense and security 7(1) 2004-11 p.1~20 http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j7-1_1.pdf

 中国の唐家旋国務委員との交渉でも知られるオルブライトは、99年4月首脳会議の場で、大量破壊兵器の拡散や民族・地域紛争といった多様化する「脅威」への対応を新たなミッションに据えるべきことを提起し、脅威の内容の拡大を主張している。このことは近年「脅威」の頻出の一因とも考えられる。

 川田忠明は、国家体制が脅威ではなく、発生する被害が脅威だと主張し、原因と結果の逆転が見られる。だとすれば結果が見えるかどうかで脅威が変わってくることになる。

戦争法廃止の展望と課題 : 「脅威論」と「抑止力」のウソを暴く(下)著者 川田 忠明 http://anpo-hokkaido.net/images/20101218speech.pdf

 脅威については意図と能力の積との論がしばしば使われる。これについては出典不明だが、中共軍よりソ連軍の脅威が大きかった頃の「1970年度防衛白書 第2部 日本防衛のあり方」に「相手国が,わが国を侵略しうる能力 をもち,侵略しようとする意図 をもつた場合には…」という文言が既にある。だが、おそらくもっと古いだろう。元々、能力と比べ意図は移ろい易く、見え難いから敵の可能行動の見積もりには能力を基本とすべしというものだ。陸自野外令や陸軍統帥要綱にも近い表現があるかもしれない。


 脅威とは抽象的で捉え難いが、多義的で主観的なものの様で単純な物理量ではない。従って脅威センサーの実現は大変困難だ。今はAIがあり判別するものは作れるだろうが、脅威のデータセットで機械学習させるから、脅威らしいもの抽出に過ぎない。脅威は認識するもので、受け手によっても変化し、敵の意図については忖度が必要だ。

 これについては、尖閣問題を通じて中国についても論じている豊下楢彦が「客観的な脅威というよりは「脅威論」にあると言える」と主張する。「様々な「脅威論」がある種の「説得性」をもって世論に受け入れられ、安保条約と米軍のプレゼンスが「正当化」される」「いつのまにか一定の「構図」が造りだされる。(中略)有識者やアナリストといった人たちが(中略)コメントを繰り返し、やがてこの「構図」は世論として定着していく」と述べている。

安保条約と「脅威論」の展開
豊下 楢彦 掲載誌 立命館平和研究 : 立命館大学国際平和ミュージアム紀要 / 立命館大学国際平和ミュージアム 編 (12) 2011 p.1~10 http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/publication/journal/documents/12_p01.pdf

 中国人のチベットへの流入に警鐘を鳴らしたことで知られるコペンハーゲン学派は定着に注目し「発話によって「何が安全保障上の脅威であるか」が定められて初めて、安全を保障する行為が伴ってくる」とし「発話を聴衆が「受容」して初めて、その事象はその国・地域において新たな安全保障上の脅威となる。(中略)特に重視されるのが聴衆の受容であり、逆に言えば、聴衆が新たな脅威の存在を認識して受容しなければ安全保障化は成立しない」と主張する。

スウェーデンにおける「移民の安全保障化」 : 非伝統的安全保障における脅威認識形成
清水 謙 掲載誌 国際政治 / 日本国際政治学会 編 (172) 2013-02 p.87-99 https://researchmap.jp/read0144695/published_papers/23591664 https://synodos.jp/society/23329

 つまり議論を重ねて脅威は見えるのだ。明治の碩学も、民族攻防に明け暮れた大陸の民も議論を重ねたのだ。脅威には様々な切り口があり、観点によって如何様にも見える。

 脅威とは受け手にも影響され、意図×能力に加えて、×受容なのだろう。棍棒と石礫しか持たぬ未開人の所に中共軍がやって来て、石礫の投射距離を超える所に大砲を据え弾幕射撃をすれば、昇天するまで未開人は中共軍の脅威を感じることはない。未開人たちに関係の無いことと思っているから議論するに至らない。

 さて中共軍は、武力以外の手段も用いると主張する「超限戦」を戦争に用いるようである。彼らは持てる戦力で示威もするが、サイレント・インベーションも進めている。

 「戦争論」では戦争を、暴力をもって相手に意思を強要することであると定義した。中共軍は我々の受容をコントロールして、脅威のステルス化を目指している。それこそが脅威と言えるのだろう。

 中共軍は、あらゆる手立てを使って、我々の脅威認識低下を図ってくるだろう。その一つが漢民族化である。主権国家の成立が遅れた地域であるから、明らかな侵略と言うのは難しいが新疆や西蔵への漢民族化が典型である。脅威を潜在化させ地域の支配権を確保してきた。最近は脅威として認識されるようになったが、海外の華僑社会への工作も進んでいる。さらに華僑系企業によるインフラへの関与は華為やtiktokの問題として話題になった。更に国防法により中共軍がこれらを活用できるようにもなった。

 我が国に対して中共は、少数民族問題としてアイヌや琉球の分離工作を行っているが、日本国内でアイヌ問題などが話題に上ることは滅多にない。しかし中共は国連の人権委員会を既に牛耳っていて、少数民族が存在するかの如き、これらの宣伝を有利に進め、日本国外においては盛んに宣伝を行っている。日本のマスコミに対しては、これらを取り上げないよう契約などを通じて圧力を加えていると言われている。コペンハーゲン学派が主張するように聴衆の議論を抑えているから脅威として顕在化しないのである。

 ウォルツの二極論を上げたが、米ソ対立に比べ米中対立は構造が複雑だ。ディカップリングを行えば、おそらくかなりの返り血を浴びるだろう。脅威が顕在化しないから問題が複雑化するのである。トランプ政権は二国間交渉を進めたが、バイデン政権や西欧各国の政策には環境問題など多国間交渉への関心が強く、それだけに中共の介入は避けられないのである。

 脅威に気づく為には脅威について議論等を通じ再認識が今一つ重要なのではないだろうか。

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