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入札日:令和3年3月22日
航空自衛隊第2補給処十条支処
気体酸素(航空吸入用)
https://www.mod.go.jp/asdf/2dep/jyujyo/nyuusatu/hokyu1.htm
https://www.mod.go.jp/asdf/2dep/jyujyo/nyuusatu/hokyu/03koukoku1-26/siyousyo1-14.pdf
第2補給処は、航空機関連の補給品を扱う補給処であり、本処は岐阜基地(各務原市)にある。その支処が十条にあるわけだ。
仕様書を見ると成分濃度の表がある。この調達品に私が注目したのは、過去に興味深い回顧談を見たことがあるからだ。ネット上に公開されているから、探せば読むことができるかもしれない。
私も少々うろ覚えなのだが、その内容とは、航空自衛隊草創期、ノースアメリカンF-86F戦闘機が配備されたばかりの話である。昭和30年(1955年)頃の話だ。
当時、日本では工業用の酸素しか入手できなかったというのである。今の仕様書を見ると露点-63.3℃以下となっているのだが、当時、使われていた酸素は水分が多く結露した水分が凍結したというのである。
基本的には水分があると準酸素中ではボンベが錆びるから、乾燥した酸素を封入する筈なのだが、どうしてもある程度は混入するのだろう。今日の酸素の規格表も確認したが、そもそも工業用という規格自体がなく正直なところ本当のことか分からない。
ただ、わざわざ嘘を書くとも思えないし、当時の事を知っている人もその記事を読むだろうから、本当のことであろうとは思う。
酸素中の水分が結露し、それが凍結するので、当時の航空自衛隊の同機は、米空軍のものより低高度でしか飛行することが出来なかったというのである。それがために浜松基地から松島基地に同機を移駐させた際に燃料消費が多くなり基地に辿り着けなかったという話である。
同機種を操縦したことがある元パイロットにも聞いたが、覚えはないと言っていた。時期的には、それより昔なのだろう。何年も違わない筈だろうが、おそらく事実とすれば初期の短い間のことなのだろう。
大東亜戦争中、ボーイングB-29の迎撃に上がったパイロットは重量軽減のために酸素ボンベではなく、酸素発生器を使用していたというが、兎に角、高高度に上がるために酸素を使用していた。
だとするなら、戦後10年も経過した頃の方が物不足が酷かったということになる。