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自衛隊調達巡り(182)なぜ広島湾 デッカ基点解体撤去

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入札日:令和3年11月18日
呉地方総監部
デッカ基点解体撤去
https://www.mod.go.jp/msdf/bukei/k0/nyuusatsu/03-1-2381-2050-0008.pdf

 仕様書が無いので詳しいことは分からないが、応札者に交付することとなっているので、推測を挟むしかない。
 デッカというのは、電波による双曲線航法の一種のことである。2つの局からの電波の同じ到達時間差の線を引くと双曲線ができる。時間差を知ることで、その線上に位置することがわかり、更に別の2局間の双曲線を交差すると、交点に位置することが分かる仕組みである。ロランがパルス波の到達時間差を用いるのに対し、デッカは連続波の位相差を用いるとのことだが、位相は時間軸上にできるのだから、表現が角度になるだけのことで、結局は時間を計っているのは同じだ。
 同様の仕組みの物には、ロランA、ロランC、オメガ等があり、実はGNSS、すなわちGPSに代表される測位衛星による航法も原理的には同じだ。

 一部には、地上を平面だと信じる人もアメリカなどには居るそうであるが、信仰の自由があるから、それはさて置いて、一般に地表は球面であることが信じられている。
 電波は概ね直進するが、周波数の低い電波は地表を回り込んで水平線より先まで届くので、高いアンテナを立てれば広い範囲に電波を到達させることができるわけである。但し周波数が低くなるほど位置精度は悪くならざるを得ない。
 アンテナの高さを高くすれば、遠方まで直接に見渡すことができるから周波数の高い電波を用いることができるが、建築することができる高さには技術的にも経済的にも限界がある。

 アンテナを衛星にしてしまえば一気に解決するわけだが、衛星は常に軌道上を周回して電波の発信位置が変ってしまう。それを正確な時計で把握して、その時点時点での位置関係で双曲線航法を行おうとするのがGNSSとなるわけだ。
 正確な時計が無かった当時は、地上からの電波発信に頼らざるを得なかったのである。
 日本に置いては、昭和29(1954)年3月に「陸岸から200海里以上離れて航行する船舶を主たる対象としてロラン網を整備すること、また、北太平洋用のロラン局を速やかに設置すること」と答申があった。この時に「デッカについても併せて検討すべし 」と記述されていたようである。

 ロランについては、昭和31(1956)年度に大釜埼 (主局)、波崎(従局)及び落石(従局)の太平洋側のロランA局3局分が予算化され、昭和34(1959)年11月1日太平洋3局のロランA局(Long Range Navigation System A Station)の業務が開始されている。
 ロランは、使用する周波数が低いため遠方まで届き、夜間に限れば日本のFIR(飛行情報区)やSAR(捜索救難区)の範囲をほぼカバーできる。昼間では半分程度になり、場所によって変わるものの日本のEEZ(排他的経済水域)程度の距離までカバーできる。
 デッカについては、昭和39(1964)年度にデッカシステム整備の要望が高まり、それに応え調査費が予算化されている。ロランの精度の悪さが問題となっていたようだ。

 昭和41(1966)年に英国へデッカ技術研修のため2名派遣され、同年、八丈島ロラン局が新設され、野間池ロラン局、慶佐次ロラン局が移管運用されている。昭和42(1967)年に、最初のデッカシステムとして北海道チェーンが運用開始、昭和44(1969)年には 北九州デッカチェーンが運用開始されている。
 カバーできる範囲は、日本のADIZに近い。これは航空交通安全局のレーダー監視範囲や気象レーダーの範囲にも近く、電波の特性がレーダーに近いのだろう。
 ロランCについては、平成5(1993)年、北西太平洋ロランCチェーンの廃止計画に伴い、ユーザーからの運用継続要請により、同チェーンを移管継続運用が
開始されている。有効範囲は、ロランAの夜間と昼間の中間といった感じだ。

 オメガについては、昭和50(1975)年、長崎県対馬に決定・整備され、全世界8局のうちの1局として運用を開始している。これは地球上どこでも使用可能である。
 ロランCを米国から引き継ぎ、運用することの条件として、既存電波航法システムであるオメガ局、ロランA局およびデッカ局を平成5(1993)年以降順次廃止することとなった。
 これらは、GNSSの急速な普及に伴い、平成10(1998)年9月にオメガシステムが廃止、昭和初期から使用されてきた中波無線標識局も平成17(2005)年度にはすべて廃止、平成27(2015)年にはロランCの北西太平洋チェーンが廃止された。

 以上のとおり、デッカが使用されていたのは昭和40年代前半から平成初期の四半世紀であった。
 瀬戸内海地域にあったデッカ局は、紀州半島の太地町、四国の奈半利町と大月町と愛媛県にあった旧瀬戸町(現伊方町)、鳥取にあったようだ。呉には記載がない。
 どうやら海上自衛隊は令和2(2020)年まで機雷除去任務に使用していたようである。平成15(2003)年に装置の生産終了や平成19(2007)年に部品の供給が出来なくなったのが廃止する理由のようだ。

デッカ運用終了 50年の歴史に幕|海自掃海業務支援隊 2020-09-15 防衛日報編集部
https://dailydefense.jp/_ct/17391388

 なお、令和2年10月1日、掃海業務支援隊は、水陸両用戦に関する戦術支援や開発、エアクッション艇要員の養成等の任務が付与され、水陸両用戦・機雷戦戦術支援隊に新編されている。
 下の資料には「広島県の最南端に位置する横島に、海上自衛隊が設置を予定しているものです。LCACの安芸灘での演習等に使用されるものと推認されますが、現在まだ施設はできていません。 」25頁 とある。

2012-2013呉基地ガイドブック 2012年8月5日 発行
http://kure-sensai.net/Genjou/KenHeiwai/2012kurekiti-gaid.pdf

 平成24年だから、まだまだ海自としては使う予定だったのだろう。しかしGoogleマップの映像(画像2021)で確認しても、資料に示す場所には何も確認することができない。デッカのアンテナを立てるには支線や局舎が必要だから、開いた土地が必要な筈だが、島全体が森林となっていて、そのような広場を確認することはできない。
 上の防衛日報の画像にあるのは移動式の局だが、どこかに精密に測量した地点の固定局がある方がその場を基準にできるから迅速性にも精密性にも良い筈だ。きっと、その固定局の基点解体撤去なのだろう。
 次の資料にも、(令和元年12 月31 日現在)として、⑯ デッカ陸上局(横島)との記載が見られる。

呉市国民保護計画10 第4章 市の地理的,社会的特徴
https://www.city.kure.lg.jp/uploaded/attachment/50098.pdf 

 そこで色々調べた所、興味深い資料が見つかった。日本共産党の赤嶺議員のサイトである。

 防衛施設に隣接する土地の調査に関して、調査した自衛隊及び米軍の約650施設の所有者数
https://akamine-seiken.jp/act/
https://akamine-seiken.jp/2021/05/08/post-29361/
https://akamine-seiken.jp/wp-content/uploads/2021/05/2892dc7c83eea92b023b0e3dcaeee4bb.pdf

 この資料の中に、7か所のデッカ局が見られる。すべて呉地方総監部となっている。ちなみに上で紹介した、旧掃海業務支援隊は横須賀であるから、どのような運用をしていたのだろうか。

海上自衛隊呉地方総監部デッカ阿多田島陸上局
海上自衛隊呉地方総監部デッカ横島陸上局
海上自衛隊呉地方総監部デッカ久賀陸上局
海上自衛隊呉地方総監部周防灘東部デッカ長島陸上局
海上自衛隊呉地方総監部郡中沖デッカ青島局
海上自衛隊呉地方総監部周防灘デッカ陸上局(姫島)
海上自衛隊呉地方総監部周防灘東部デッカ陸上局(姫島)

 ここにも横島の文字が確認できる。横島以外の場所は以下のとおりである。経緯度については十進標記である。

阿多田島 34.193128088168955, 132.30744792694813
山口県大島郡周防大島町久賀
長島 34.1323334114451, 132.4186705249382
青島 33.736503362696645, 132.48149478869558
姫島 33.726474354613565, 131.6660178116347

 姫島のみ、やや西に離れるが、横島も含め、広島湾というか、旧海軍の柱島泊地を取り囲むような場所である。ただし横島同様、デッカのアンテナを立てるような開けた土地が見られない。
 デッカ基点解体撤去として調達する以上、何かある筈である。すでにデッカが過去のものとなったにせよ、過去に開いた土地があれば植生などに違いが表れる筈だ。しかし、ほぼ鬱蒼と茂った森林しかない。もしかしたら測量して、基点の目印だけ設置し、器材は常設していなかったのかもしれない。
 なぜ、この海域にデッカが集中配備?されたのかが疑問として残る。   

 Wikipediaの記述からであるが、大東亜戦争中には昭和20年3月下旬から4月上旬に関門海峡と瀬戸内海に2030個、5月上旬に関門海峡と、東京、大阪、神戸、名古屋等の太平洋岸及び瀬戸内の主要港に1422個、5月中旬から6月上旬に北九州等、日本海側の港に1313個、6月中旬にも同か所へ3728個、7月中旬に舞鶴、新潟、船川、釜山、羅津に3746個の機雷が投下された。瀬戸内海に多く投下されているとは言え、他の個所もそれなりに投下されている。
 しかし、これらの大半が昭和27年までに処分され、また一部を除いて昭和25年までに機能停止するようにセットされていた。昭和47年の段階で7%(5062個)が未確認と言われている。海上自衛隊がデッカの運用を始めたのが昭和45年であり、殆ど大戦中の機雷が無力化した後で、これほどのデッカ局を大戦中の機雷の掃海のために、広島湾周辺だけに集めるのは理由が立たない。
 推測であるが、デッカ局の配置によるものではないだろうか。デッカは日本に置いては北海道、東北、関東、北陸、四国、北九州の6つのチェーンに分かれていた。整備された当時、沖縄は返還前であるから別として、紀伊水道から備讃瀬戸の間が空白域となっていた。これより西の瀬戸内海は北九州チェーンに入るのであるが、電波を使う特性上、陸地に囲まれた関門海峡や豊後水道に至るエリアは地形によって電波が遮られ測定精度が落ちる可能性がある。デッカは連続波を用いる関係で、夜間は空間波と地表波の分別が困難となる欠点があったという。ということは地物に反射するマルチパスがあれば、さらに使用困難になる筈である。

 もちろん内海である上に島の多い海域であるからコンパスを用いた地文航法も可能だろう。磁気機雷への対応上、磁気コンパスを持ち込めないのかもしれないが、掃海艇の画像を見るとジャイロコンパスらしきものは装備しているようだ。とは言え、海であるから霧などに影響を受けるということだろうか。
 他の海域では海上保安庁のデッカがあるから、それを使おうということなのかもしれない。
 いずれにせよ、デッカの運用も終了し、GNSSに全面的に頼るようだ。少し前に陸上自衛隊の94式水際地雷敷設装置用の電波法適合改造について述べた。

(146)
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%94%ef%bc%96%ef%bc%89-gps%e3%81%a0%e3%81%91%e3%81%a7%e5%a4%a7%e4%b8%88%e5%a4%ab%ef%bc%9f%e3%80%80%e6%95%b7/1476/

 これもGPSの利用に絞るという内容だった。また、航空保安無線施設もGNSSに置き換えて行く動きもある。

(162)
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%96%ef%bc%92%ef%bc%89%e6%9b%b4%e6%96%b0%ef%bc%9f%e3%80%80%e6%b5%9c%e6%9d%be%e5%9f%ba%e5%9c%b0-%e5%9c%b0%e4%b8%8a/1659/

 一つのシステムに頼ることは脆弱性にもつながるし、システムには一長一短もある。しかし、その一方で古いシステムを維持することは経済的にみれば負担が大きい。さらに電波を使用する以上、使うことができる波長帯は有限であり、新たなシステムの為に譲らなくてはならない。
 確かにGNSSは優れたシステムである。衛星破壊兵器が使われる心配はあるものの、それでは地上に配備した様々なシステムが攻撃に対して衛星より強いかと言えば、むしろ弱いだろう。それは火力による攻撃だけではなくEMPについても同様である。
 そして地上のシステムが低い周波数を使わざるを得ないため、精度にも限界があったが、GNSSは、その問題を解決してしまったわけである。
 衛星を利用するシステムの弱点は、衛星が使えなくなったときに、次の衛星を軌道へ投入するまで、ある程度の時間と、多大な打ち上げ費用が掛かることだ。しかし、これも多数の衛星によるコンステレーションを組むことで冗長性が確保されつつある。
 そうなるとGNSS間で複数のシステムを使うことができるようにして置くということで抗坦性を維持した方が良いのだろう。ただ従来のシステムも含め共通した弱みがある。それが電力を使うことだ。緊急事態に備えてせめて六分儀とか平板測量の取扱いに習熟して置くべきだろうと思う。また、それらの原理を理解することが、現代のシステムを理解することにも役立つからだ。
 最後にデッカが歴史の陰で大きな役割を果たした例を紹介したい。

ナショナリズムと自衛隊――一九八七年・九一年の掃海艇派遣問題を中心に――37頁
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2012/170/2012_170_30/_pdf/-char/ja

 昭和62年当時、イラン・イラク戦争が行われペルシャ湾の航行が危険となり、各国が軍隊を派遣する事態となっていた。日本に対しても派遣の要請が及んできた。しかし、当時の日本の政治情勢は海外へ自衛隊を派遣することに対する拒否感が強かった。湾岸戦争後には実際に掃海艇を派遣したが、この時は政治情勢を乗り越えるだけの準備が出来ていなかったのである。
 その様な中、訪米中であった栗原防衛庁長官に対して、ワインバーガー(Caspar WillardWeinberger)国防長官からペルシャ湾に「デッカ電波灯台」の設置の提案がなされたのである。そして日本政府は、この時はデッカ局を設営することで、ペルシャ湾を航行する船舶を安全な航路に誘導し、他国からの批判を回避することができたということである。デッカの採用時期がもっと早ければ、大戦中に投下された機雷の掃海活動で活躍し注目されたところであろうが、昭和の終わりになって、思わぬ大きな貢献をしたシステムであったと言えるだろう。

FIR、SAR、EEZ及びADIZの相互の位置関係については(140)
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%94%ef%bc%90%ef%bc%89/1371/
航空保安無線施設については(162)
https://sucanku-mili.club/%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e8%aa%bf%e9%81%94%e5%b7%a1%e3%82%8a%ef%bc%88%ef%bc%91%ef%bc%96%ef%bc%92%ef%bc%89%e6%9b%b4%e6%96%b0%ef%bc%9f%e3%80%80%e6%b5%9c%e6%9d%be%e5%9f%ba%e5%9c%b0-%e5%9c%b0%e4%b8%8a/1659/

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(資料番号:19.3.18-2)「イラン・イラク戦争における航路安全確保のための活動」『防衛研究所紀要』第20巻第2号(2018年3月)掲載
(資料番号:18.3.23-5)「部隊別特集:掃海隊群」『艦船と安全』(護衛艦隊司令部)2017年9月号掲載
(資料番号:18.3.4-1)「朝鮮戦争時の機雷戦で日本が受けた影響」『ブリーフィング·メモ』(防衛研究所)2018年2月号
(資料番号:17.6.16-1)「機雷掃海教範」(海上自衛隊教範第401号)
(資料番号:15.10.29-2)「航空科部隊との協同による水際地雷敷設訓練」『航空安全情報』(陸幕装備部航空機課航空安全班)2014年10月号掲載
(資料番号:15.10.6-2)「機雷戦の概要」(27.6.17)防衛省記者クラブ勉強会のために海幕が作成した資料
(資料番号:15.9.12-1)「機雷敷設教範」(海上自衛隊教範第338号)
(資料番号:15.9.11-1)『艦船と安全』(海自護衛艦隊司令部)2013年6月号 *部隊別特集:掃海隊群。
(資料番号:15.9.11-2)「機雷整備員として」『安全月報』(海自航空集団)2014年11月号掲載
(資料番号:15.7.21-1)「対機雷戦教範」(海上自衛隊教範第336号)
(資料番号:15.3.7-2)「イランのA2/ADと米国アウトサイド・イン構想―『機雷戦』の視点から―」『海幹校戦略研究』(海自幹部学校)第3巻第2号(2013年12月)
(資料番号:14.4.24-1)「アウトサイド・イン構想―イランのA2/ADを打倒する―」『海幹校戦略研究』(海自幹部学校)第3巻第1号増刊(2013年9月)掲載
(資料番号:14.6.30-1)「米主催国際掃海訓練実施報告書」(51掃隊第243号(24.11.22)別冊第1)国際掃海訓練(IMCMEX 12に参加した海自部隊による参加報告書。
(資料番号:14.3.7-1)「イラン核開発問題とペルシャ湾岸の安全保障環境」(防衛研究所平成24年度基礎研究成果報告書)
(資料番号:13.7.11-1)「太平洋戦争における日本海軍による機雷敷設の考察」(防衛研究所平成23年度基礎研究成果報告書)
(資料番号:13.6.1-1)「機雷戦教範」(統合教範12-2)
(資料番号:12.2.20-1)「『湾岸の夜明け』作戦に掃海部隊派遣」(「海上自衛隊50年史」から抜粋)
(資料番号:12.2.20-2)「落合畯オーラル・ヒストリー」
(資料番号:12.2.20-3)「朝鮮動乱特別掃海史」(平成21年1月5日 掃海OB等の集い世話人会)
(資料番号:11.9.6-5)「中国の機雷戦」(2009年6月)

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